【ハンドボール】東俊介 SHUNSUKE AZUMA Vol.2「夢は、ハンドボールをメジャーにすること」

「あと20年我慢すれば」と言われて

——復帰されてからはどんな活動をされたんですか?

大崎電気で働きながら日本ハンドボールリーグ機構の運営委員の仕事をするようになりました。会議で日本リーグ機構の多田博会長にマーケティングの重要性を訴えかけてマーケティング部設立を実現し、部長を任されることになりました。4年間のマーケティング活動の中ではJリーグ立ち上げに尽力された木之本興三さんにもご協力をいただきました。始めに千葉のご自宅兼事務所までご挨拶に行ったときに「今のハンドボールはJリーグが日本サッカーリーグ(以下JSL)だった頃と似ている。もう20年前だな。死ぬ前にハンドボールをメジャーにするという東さんの夢を手伝うよ」と言ってくださったんです。それでリーグのマーケティングについてコンサルティングしていただきました。

——木之本さんに参画していただきながらどんな企画を進めていたんですか?

ハンドボールは企業チームとクラブチームが混在しているので、JSLがJリーグになるときのようにリーグでプロパティを一括管理できるようなシステムを作ろうとしていました。それから40周年記念プロジェクトを任されていて、色々な数字に基づいた企画案を提出したんです。しかし、最終的には40年はまだ時期尚早だから50周年に向けて頑張ろうと先延ばしになりました。それでこのままここで活動していてもハンドボールをメジャーにするという夢は叶えられないと悟りました。ただ、当時の僕は大崎電気という一部上場企業の副課長で、日本ハンドボールリーグ機構のマーケティング部長という肩書もあって、メジャーにするために一生懸命目標に向かっていますと言い訳することはできるんですよ。年齢は40歳、妻と娘と息子がいて、家もローンで買ったばかり。

——守るものがたくさんありますね。

でも辞めなきゃ夢が叶わないこともわかっているんです。木之本さんや張さん、他にもお世話になって応援してくれた人がたくさんいるんですよ。夢先生でたくさんの子どもたちに「ハンドボールをメジャーにします」と約束もしてきました。

——でも大崎電気にいれば定年まで勤められますよね。

会社からはすごく止められましたね。でも最後に言われたんです。「このままあと20年我慢すれば退職金も出るし、安定した人生が送れる」と。「この会社って我慢する場所なんだ」と、そのときに絶対に辞めようと思いました。

——先は何も決まっていない中で大きな決断でしたね。

夢は本気になればなるほど挫折も失敗もするし、辛いことやしんどいことがいっぱいありますよね。それで折れてしまった人たちが「どうせ夢は叶わない」と下の世代に伝えていく。僕もまだ夢を叶えることは出来ていない。これまでに出会ってきた子どもたちも、今後生きていく中で、あきらめてしまいそうなことをたくさん経験すると思うんですが、「そんな時には俺を検索してくれ」と伝えています。君たちもしんどいかも知れないけれど、俺もずっとあきらめずに、あれから変わらずに夢に向かって失敗を繰り返しながら頑張っているからしんどくなったら俺のことを見てくれと言うわけです。離れているけど、仲間だぞと。もうその約束に対して意地になってやっている感じです。これまでに出会ってきた人たちに恥ずかしくないように。

Vol.1「脱・マイナースポーツ」
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Vol.3「“パラレルワーカー”という生き方」
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■プロフィール

東俊介(あずま・しゅんすけ)

1975年9月16日生まれ、石川県金沢市出身。大崎電気にて実業団選手としてハンドボールを11年間プレー。大崎オーソルで9度の日本一に貢献し、日本代表として数々の国際大会に出場し、キャプテンも務める。2009年に現役選手を引退。現役引退後は早稲田大学大学院で平田竹男教授の下、スポーツマネジメントについて学び、日本ハンドボールリーグの初代マーケティング部長に就任。2016年3月末で大崎電気を退社し、株式会社サーキュレーションにて経営コンサルタントを務めた後、アスリートのキャリア支援を行う株式会社アーシャルデザインのChief Branding Officerなどを務める。

https://twitter.com/shunsukeazuma

■クレジット

取材・構成:Smart Sports News 編集部

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