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天国の祖母に捧げた日本一。真面目で天然で“ロックな男”岡村康平、現役最後に手にしたタイトルの意味|俺たちの全日本

俺たちの全日本|特集

岸将太が天井に向かって高々とボールを投げ、試合終了のブザーが鳴る。第28回全日本フットサル選手権大会は、フウガドールすみだの14年ぶりの戴冠で幕を閉じた。現役引退を表明していたすみだの岡村康平は、その瞬間をピッチ脇で迎えた。キャリア最後の大会で、自身にとって最初で最後のタイトルを獲得。決勝の相手は古巣・湘南ベルマーレ。これ以上ない幕引きとなった。

「出来すぎですよね。最後に優勝して、しかもお世話になった両チームのサポーターの前で引退できるなんて。本当に幸せ者です。これまでお世話になったみなさんに、改めて感謝したいと思います」

すみだが今大会で見せた一体感は、目を見張るものがあった。岡村のほか、チーム最古参だった宮崎曉、下部組織育ちの佐藤雄介が現役引退。荻窪孝監督の退任も決まっていたなかで「最後にこのチームでタイトルを獲る」という思いは強く、その団結は試合を追うごとに強固なものとなっていった。

それぞれの思いを胸に、強い気持ちで戦い抜いた選手たち。だが岡村にはもう一つ、この大会に懸ける大きな理由があった──。

27歳、遅咲きのFリーグデビュー

岡村康平は1987年4月20日、神奈川県茅ケ崎市で誕生した。生まれて間もなく、両親が離婚。1歳の頃に父方の祖父母に預けられ、祖父・晃八(こうはち)さん、祖母・京子(きょうこ)さんのもとで育った。

「鵠沼でサーフショップをやっていた父はとっても自由人で(笑)。茅ヶ崎の家にはたまにしか帰って来なかったので、基本的には祖父母と3人暮らしでした。父は男3兄弟だったので、僕は4人目の息子のように育てられたんです」

祖父母の愛情を一身に受けて育った岡村少年は、小学1年生の時に地元の少年サッカー団に入団。中学、高校とサッカー部に所属し、卒業までプレーを続けた。その後、大学生の時にフットサルと出会い、神奈川県フットサルリーグ1部のP.D.E.SQUAREに加入。本格的に競技生活をスタートさせた。

「大学卒業後は教員になろうと考えていて。ちょうど当時、高校のサッカー部の指導にも携わっていたんですよね。フットサルをプレーすることでフットボール観が広がれば、それがサッカーの指導にもプラスに働くのではないかと考えたんです」

当初はフットサルで上を目指そうとは考えていなかった岡村だが、数年後に転機が訪れる。元湘南で、当時すでに後進の育成に携わっていた奥村敬人氏(後の湘南監督)から「ロンドリーナ(湘南のサテライト)でプレーしてみないか?」と誘いがあったのだ。

教員か、フットサル選手か。岡村の心が揺れるなか、祖母・京子さんはフットサル選手を目指すことに反対した。

「教員のほうが安定しているからというのはもちろんあったと思いますけど、それ以上に『あなたは争い事が好きじゃないから、選手は向かないんじゃない?』って言われましたね。実際、僕は小学生の頃から人に譲ることが多い子で。サッカーをやっていても、自分がゴールを決めるより友達の得点をアシストするほうが好きだったんです。ゴールは1人だけど、アシストは2人喜べるから。ばあちゃんはいつも試合を観に来てくれていて、僕のそういうところもよく知っていたから止めたんでしょうね。でも、教員には後からでもなれるかもしれないけど、選手を目指せるのは今だけだなと思って、ロンドリーナでお世話になることにしました」

満を持して移籍を決断した岡村。しかし、その後の道のりは順風満帆とはいかなかった。ロンドリーナで中心選手として活躍しながらも、トップチームからはなかなか声がかからず。2013-2014シーズンにようやく昇格を果たすも、その年の出場はなし。初出場は翌2014年11月。27歳、遅咲きのFリーグデビューだった。

そして2016-2017シーズン終了後、湘南を契約満了となり退団。この時点で「引退の可能性もあった」というが、元湘南で当時すみだのコーチをしていた荻窪孝氏の推薦もあり、須賀雄大監督率いるすみだに加入。ここでその才能が一気に花開くこととなった。

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