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コビー&シャック——最高のデュオにして最大のライバルが生んだ醜聞やトラブル、そして栄光【NBAデュオ列伝|前編】

レイカーズ時代は反発しあったシャック(右)&コビー(左)だが、コートに立てば無敵の強さを誇った。(C)Getty Images
NBAには数多くの記憶に残るデュオがいた。ダーク・ノビツキーとスティーブ・ナッシュ(ダラス・マーベリックス)のように真の友情を育んだ者がいれば、マイケル・ジョーダンとスコッティ・ピッペン(シカゴ・ブルズ)のような師弟コンビもあり、デニス・ロッドマンとビル・レインビア(デトロイト・ピストンズ)のような、単なる仕事上のパートナーにすぎない関係もあった。

それでも、彼らほどその仲が険悪で、それでいて最高の成績を収め続けたデュオはいなかった。コビー・ブライアントとシャキール・オニール。NBAで最も才能に恵まれ、最も強いエゴの持ち主だった2人の尋常でない関係は、数々の醜聞やトラブルと引き換えに、ロサンゼルス・レイカーズに3年連続チャンピオンという栄光をもたらした。
■才能とエゴが共存した異色の強力デュオ

2人がレイカーズに入団したのは、同じ1996−97シーズンだった。ドラフト1巡目13位でシャーロット・ホーネッツに指名されたコビーは、その直後にブラデ・ディバッツとのトレードでレイカーズへと移る。ディバッツ放出で浮いた資金を使い、レイカーズはオーランド・マジックからFA(フリーエージェント)となっていたシャックと、7年間1億2100万ドルの超高額契約を結んだ。

その頃の2人は選手としての格に天と地の差があり、衝突のしようがなかった。1992年にドラフト全体1位でマジックに入団したシャックは、いきなり平均23.4点、13.9リバウンドを記録して新人王となり、3年目の1994−95シーズンには平均29.3点で得点王を獲得。マジックをファイナル進出に導くなど、押しも押されもせぬスーパースターとなる。本業のバスケットボールだけでなく、ラッパーや俳優としての活動でも人気を集めていた。

一方のコビーは、高校を卒業したばかりの18歳。身体能力の高さには一目置かれていたものの、当時は高卒選手自体が極めて少数だったこともあり、プロ入りの選択に懐疑的な目を向ける者も多かった。実際、1年目は平均7.6点、プレーオフでも勝負所でエアボールを連発するなど未熟さをさらけ出した。
だが、コビーは誰もが驚くほどの急速な成長を見せ、シャックとの差を詰めてゆく。2年目には平均得点を15.4点に伸ばし、史上最年少でオールスターに選出。体格やプレースタイル、そして負けず嫌いな性格など、ジョーダンと多くの共通点を持つコビーは、神の後継者として意識され始めた。

2人の性格の違いも、次第に明白になっていく。陽気で社交的、さまざまな趣味を持つシャックとは対照的に、コビーは孤独を好み、バスケットボール以外のことにはほとんど関心を示さず。「チーム内に親友はいるかと聞かれたら、答えはノーだ」と語るなど、レイカーズでの立ち位置も微妙だった。シャックについても「何かを一緒になってするということはない。立ち話すらしない。お互い冷めているんだ。彼には、僕と同じようなバスケットに対する情熱があるようにも見えない」と、厳しい見方をしていた。

コビーが成長するにつれ、プレーの上でも障害が生じる。シャックは自分を軸にしてプレーが展開されるのが当然だと思っていた。ビッグマンに最初にボールを通すのが、バスケットボールのオフェンスの基本だからだ。

しかし、コビーはそんなことには全然お構いなしに、シュートチャンスさえあれば躊躇せず打ちまくった。そうしたプレースタイルに、シャックを筆頭として多くのチームメイトたちは反感を抱く。これではチームワークが生まれるはずもなく、プレーオフには出場しても、ファイナルまで辿り着けずに敗退するシーズンが続いた。
1999—2000シーズン、ブルズを6度の王座に導いた名将フィル・ジャクソンがヘッドコーチに就任。ブルズ時代にNBAきっての問題児ロッドマンを操ることに成功したジャクソンは、レイカーズでもそのカリスマ的指導力を発揮する。

シャックにはチームリーダーとしての自覚を持たせる一方で、コビーに対しては自分勝手なプレーを厳しく戒めた。こうしてチーム内に秩序が生まれたレイカーズは、たちまちリーグ最強チームとなる。2月から3月にかけては怒涛の19連勝も記録し、年間では67勝。自己最高の平均29.7点をあげたシャックは、初のシーズンMVPに選出された。

プレーオフではカンファレンス決勝でポートランド・トレイルブレイザーズに苦戦を強いられたが、ファイナルではインディアナ・ペイサーズを4勝2敗で下して12年ぶりの優勝。6試合で平均38点、16.7リバウンドと大暴れしたシャックはファイナルMVPに輝き、コビーも第4戦ではシャックがファウルアウトした後、オーバータイムで8得点をあげて勝利の立役者となった。
■信頼性に大きな問題を抱えるも、一度コートに立てば最強の2人

こうした栄光も、残念ながら2人の間に平和をもたらすことはなかった。それどころか、彼らの関係性は悪化の一途を辿っていく。

翌2000−01シーズンは、2人の対立が最高潮に達した。「僕は上達を続けているのに、どうしていつまでも押さえつけられなければならないんだ」とコビーはシャックがいつまでも攻撃の中心であることに不満を募らせ、「シャックと共存できないなら、このチームを出て行くがいい」とジャクソンに言われる始末。シャックも上層部にトレードを直訴するなど、とても王者とは思えないまとまりのなさを露呈した。
「シャックもコビーも高給をもらっていて、優勝もしたし、素晴らしい街でプレーしているのに。どこに文句を言う必要があるんだ?」

チームメイトのブライアン・ショウの疑問は、そのままファンの声でもあった。

こんな最悪のチーム状況でも、一旦プレーオフに入ると、シーズンのゴタゴタが嘘のように15勝1敗の快進撃で、あっさり2連覇を達成。シャック&コビーが持てる力を発揮すれば、彼らに敵うチームはなかった。

さらに2001−02シーズンも危なげなく3連覇。3年連続のファイナルMVPを成し遂げたシャックが「ヤツはリーグで最高の選手だ」とコビーを讃えたかと思えば、そのコビーも自分を抑えたプレーで「彼は人間的に成長した」とジャクソンの評価を勝ち取った。長年の諍いも過去のものとなり、いよいよレイカーズ王朝は安泰かに見えた。(後編へ続く)

文●出野哲也
※『ダンクシュート』2007年7月号原稿に加筆・修正

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レイカーズ時代は反発しあったシャック(右)&コビー(左)だが、コートに立てば無敵の強さを誇った。(C)Getty Images
NBAには数多くの記憶に残るデュオがいた。ダーク・ノビツキーとスティーブ・ナッシュ(ダラス・マーベリックス)のように真の友情を育んだ者がいれば、マイケル・ジョーダンとスコッティ・ピッペン(シカゴ・ブルズ)のような師弟コンビもあり、デニス・ロッドマンとビル・レインビア(デトロイト・ピストンズ)のような、単なる仕事上のパートナーにすぎない関係もあった。

それでも、彼らほどその仲が険悪で、それでいて最高の成績を収め続けたデュオはいなかった。コビー・ブライアントとシャキール・オニール。NBAで最も才能に恵まれ、最も強いエゴの持ち主だった2人の尋常でない関係は、数々の醜聞やトラブルと引き換えに、ロサンゼルス・レイカーズに3年連続チャンピオンという栄光をもたらした。
■才能とエゴが共存した異色の強力デュオ

2人がレイカーズに入団したのは、同じ1996-97シーズンだった。ドラフト1巡目13位でシャーロット・ホーネッツに指名されたコビーは、その直後にブラデ・ディバッツとのトレードでレイカーズへと移る。ディバッツ放出で浮いた資金を使い、レイカーズはオーランド・マジックからFA(フリーエージェント)となっていたシャックと、7年間1億2100万ドルの超高額契約を結んだ。

その頃の2人は選手としての格に天と地の差があり、衝突のしようがなかった。1992年にドラフト全体1位でマジックに入団したシャックは、いきなり平均23.4点、13.9リバウンドを記録して新人王となり、3年目の1994-95シーズンには平均29.3点で得点王を獲得。マジックをファイナル進出に導くなど、押しも押されもせぬスーパースターとなる。本業のバスケットボールだけでなく、ラッパーや俳優としての活動でも人気を集めていた。

一方のコビーは、高校を卒業したばかりの18歳。身体能力の高さには一目置かれていたものの、当時は高卒選手自体が極めて少数だったこともあり、プロ入りの選択に懐疑的な目を向ける者も多かった。実際、1年目は平均7.6点、プレーオフでも勝負所でエアボールを連発するなど未熟さをさらけ出した。
だが、コビーは誰もが驚くほどの急速な成長を見せ、シャックとの差を詰めてゆく。2年目には平均得点を15.4点に伸ばし、史上最年少でオールスターに選出。体格やプレースタイル、そして負けず嫌いな性格など、ジョーダンと多くの共通点を持つコビーは、神の後継者として意識され始めた。

2人の性格の違いも、次第に明白になっていく。陽気で社交的、さまざまな趣味を持つシャックとは対照的に、コビーは孤独を好み、バスケットボール以外のことにはほとんど関心を示さず。「チーム内に親友はいるかと聞かれたら、答えはノーだ」と語るなど、レイカーズでの立ち位置も微妙だった。シャックについても「何かを一緒になってするということはない。立ち話すらしない。お互い冷めているんだ。彼には、僕と同じようなバスケットに対する情熱があるようにも見えない」と、厳しい見方をしていた。

コビーが成長するにつれ、プレーの上でも障害が生じる。シャックは自分を軸にしてプレーが展開されるのが当然だと思っていた。ビッグマンに最初にボールを通すのが、バスケットボールのオフェンスの基本だからだ。

しかし、コビーはそんなことには全然お構いなしに、シュートチャンスさえあれば躊躇せず打ちまくった。そうしたプレースタイルに、シャックを筆頭として多くのチームメイトたちは反感を抱く。これではチームワークが生まれるはずもなく、プレーオフには出場しても、ファイナルまで辿り着けずに敗退するシーズンが続いた。
1999―2000シーズン、ブルズを6度の王座に導いた名将フィル・ジャクソンがヘッドコーチに就任。ブルズ時代にNBAきっての問題児ロッドマンを操ることに成功したジャクソンは、レイカーズでもそのカリスマ的指導力を発揮する。

シャックにはチームリーダーとしての自覚を持たせる一方で、コビーに対しては自分勝手なプレーを厳しく戒めた。こうしてチーム内に秩序が生まれたレイカーズは、たちまちリーグ最強チームとなる。2月から3月にかけては怒涛の19連勝も記録し、年間では67勝。自己最高の平均29.7点をあげたシャックは、初のシーズンMVPに選出された。

プレーオフではカンファレンス決勝でポートランド・トレイルブレイザーズに苦戦を強いられたが、ファイナルではインディアナ・ペイサーズを4勝2敗で下して12年ぶりの優勝。6試合で平均38点、16.7リバウンドと大暴れしたシャックはファイナルMVPに輝き、コビーも第4戦ではシャックがファウルアウトした後、オーバータイムで8得点をあげて勝利の立役者となった。
■信頼性に大きな問題を抱えるも、一度コートに立てば最強の2人

こうした栄光も、残念ながら2人の間に平和をもたらすことはなかった。それどころか、彼らの関係性は悪化の一途を辿っていく。

翌2000-01シーズンは、2人の対立が最高潮に達した。「僕は上達を続けているのに、どうしていつまでも押さえつけられなければならないんだ」とコビーはシャックがいつまでも攻撃の中心であることに不満を募らせ、「シャックと共存できないなら、このチームを出て行くがいい」とジャクソンに言われる始末。シャックも上層部にトレードを直訴するなど、とても王者とは思えないまとまりのなさを露呈した。
「シャックもコビーも高給をもらっていて、優勝もしたし、素晴らしい街でプレーしているのに。どこに文句を言う必要があるんだ?」

チームメイトのブライアン・ショウの疑問は、そのままファンの声でもあった。

こんな最悪のチーム状況でも、一旦プレーオフに入ると、シーズンのゴタゴタが嘘のように15勝1敗の快進撃で、あっさり2連覇を達成。シャック&コビーが持てる力を発揮すれば、彼らに敵うチームはなかった。

さらに2001-02シーズンも危なげなく3連覇。3年連続のファイナルMVPを成し遂げたシャックが「ヤツはリーグで最高の選手だ」とコビーを讃えたかと思えば、そのコビーも自分を抑えたプレーで「彼は人間的に成長した」とジャクソンの評価を勝ち取った。長年の諍いも過去のものとなり、いよいよレイカーズ王朝は安泰かに見えた。(後編へ続く)

文●出野哲也
※『ダンクシュート』2007年7月号原稿に加筆・修正

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